本部(東京)/国際交流/駒沢大学(駒大部会)


江戸東京博物館 「 ときめき着物体験」に参加して(2017.4.22)

駒澤大部会 横山美代子(三井物産OG)

4月22日に交換留学生(以下留学生)7名、ボランティア会員6名、総勢13名で江戸東京博物館の「ときめき着物体験」に参加しました。

日本文化に興味のある留学生は江戸城模型や徳川家の家系図や神田明神の山車等、時間を忘れて熱心に見学していました。

博物館の展示はとても分かり易く、芝居小屋中村座などはスケールも大きくて圧倒 されます。その中にある日本家屋での着物体験は「タイムスリップして江戸時代に来 ちゃった!夢を見ているみたい!」という素敵な気持ちを味わう事が出来ます。

また、今年は「男性用の袴を着用してみたい」という希望が叶って「一生一度の貴重な体験が出来たかも!」という女子留学生もいました。江戸東京博物館での着物体験は江戸の風景とマッチして夢と希望溢れる素晴らしいものなのでチャンスが有れば来年もまた参加したいと思います。

今回の着物体験に参加した留学生「キム スヒョン」さんが流ちょうな日本語で素晴らしい感想文を寄稿してくれました。大変な勉強家でよく日本の文化他、幅広く勉強されています。本文に続いて掲載の感想文をぜひご覧いただければと思います。

(芝居小屋 「中村座」前にて)

<参加留学生感想文>

両国・江戸東京博物館を訪ねて

駒澤大学交換留学生 キム スヒョン(韓国)

(筆者 キム スヒョンさん)

ロンドンへ行ったら大英博物館に。パリへ行ったらルーブルに。東京へ行ったら展覧会に!そうなんです。日本では日本独特の期間限定の企画展が多く、これは外国人から見たら、実験的な芸術活動がおこなわれているように見えます。

ところで、なぜ日本はイギリスやパリのようにテーマが決まった展示館ではなく、様々なテーマを企画する場所を総称して'展覧会'という言葉が使われたのか? 

それは恐らく、作品、遺物に関して海外と頻繁な交流によって日本人の興味対象の変化が速くなっているほかに、秋の紅葉と落ち葉のように永遠より瞬間の美しさ、その期間でなければ見られないものに美学を置いている日本独特の感性が反映しているのではないかと思います。一例として、六本木にある国立新美術館は作品を所蔵しないということを基本コンセプトとして全ての展示を企画展示会で運営しています。  この方式ですと、個別展示ごとに料金をはらわなければならないので、財布が空気のように軽くなります(スヒョンは守銭奴? 笑)。

幸い今回の江戸東京博物館は常設展示でした。さらに、着物の体験まで!うちの交換学生たちは興奮の高まりを覚えていました。三井ボランティアの方々と一緒ならこのような幸運がいっぱい。幸せ!

江戸東京博物館は、国立新美術館を建てた黒川紀章と、菊竹清訓が日本伝統の倉庫の形をモチーフに設計した建築物です。場所は日本の国技である相撲が開かれる国技館がある両国というところにあります。

展示で感銘を受けたのは大まかに三つあります。それは「着物の体験」、「江戸時代の大衆の食べ物」、「火災と火消し」です。博物館では着物体験イベントが行われていました。日本に来て初めて格式を備えた着物を着てみましたが、とても楽しかったです。それから、男性の着物を着て侍のように堂々と立って写真を撮った友達もいました。考えてみると、いつ私が男性の着物を着られるかわからないので、男性の着物を着なかったことを少し後悔しました。それでも女性の着物はそれなりの魅力があって実に面白かったです!博物館内には多様な文様の刺繍が入った着物が展示されていました。特に歌舞伎劇場の俳優が着た遊女の着物が圧巻でした。本当に華美で美しかったので、しばらく立ち止まって見つめていました。

続いて東京の神田祭を精密に再現した展示品のフィギュアたちを見て驚きました。祭りの時に使う道具、宗教的な意味が込められた衣服が独創的でした。毎年5月15日ごろ祭りが開かれると聞きましたので、是非行ってみなくてはと思いました。次に私の目についたのは江戸の人々の生活でした。急速に発展した江戸ではファーストフードが広がり、一口で食べられる食事(すし等)を売っていた飲食店の模型が展示されていました。新都市建築のために多くの男の職人が動員され江戸の男女比は7:3であったことと江戸文化が武士と商人が主軸だったこともあり、寿司、天ぷら、蕎麦はその男性的な食事の代表だと思います。上の3つのファーストフードの先祖は、昔の首都である京都と地理的条件を比較して見れば、素材に野菜よりは魚が使用されています。江戸は人口過多の密集地域であり、農作物を生産することができる広い土地は十分ではなかったので、近い海で得られる魚を使ったのではないかと思います。江戸といえば握りずしですが、隅田川の風が強く吹いていたので、火災防止を願って'河童寿司'と名づけたかも知れないと想像しました。天ぷら、天丼も人気でしたが、火災を心配した政府が店の外で食べ物を作るように方針を決めており、食べ物の臭いに魅了された人々が買って食べたそうです。特に、 油を使った食べ物は火災の危険性が大きいことから、最初に外に出されましたが、その強烈な匂いで注目されたかもしれません。蕎麦はスープにつけて食べる時に、威勢のよい姿と食べる時に出る音に人気があったそうです。 そばは酒と相性が良くて江戸のそば屋のメニューには酒が紹介されていました。

京料理が淡泊な味を出せば、江戸料理は甘い味が強いです。江戸幕府が成立した後、武家料理として砂糖を手軽に得ることができたのがその理由のようです。そして、こいくちしょうゆと本節をよく使ったそうです。当時、てんぷらの衣は小麦粉に水を入れて捏ねることで終わったので、衣が厚くて揚げるのに時間が必要だったのですが、時間を掛ける余裕はなかったそうです。その為、充分揚がっていない天ぷらはそのままではあまり味が良くないので、それにつけて食べられる、醤油を考案したという逸話があるそうです。



戻る


Copyright © Mitsui Volunteer Network