〜あの留学生は今〜

あの留学生は今

駒沢大学部会 会員

最上 徹(日本製鋼所OB)

すべては活舌トレーニングから

あめんぼ あかいな あいうえお
かきのき くりのき かきくけこ
、、、、、、 ,、、、、、、 、、、、、、、、、
わいわい わっしょい わいうえを

台湾から留学のリュウケンクンさんは、北原白秋の「あめんぼうの歌」を最後までそらんじていたことだけを取っても気合の入れ方が普通ではありませんでした。尊敬する人物は大学の近所に神社がある吉田松陰。そこから関心は萩市の松下村塾に飛び、伊藤博文、山縣有朋、桂小五郎達に拡大して、帰国して今なお関心は収まらず。虎視(たん)々と再留学を目指して勉強中の様子です。

なお、日本に新型コロナウィルスが急拡散した折には、多くのマスクなどを自主的に急送してくれた元留学生です。

【リュウ・ケンクンさんからの寄稿文】

三年経った。

大学を卒業してからはわずか一年余りだが、日本を出てきたのは、すでに三年前のことだった。その後も何度も訪ねていったが、全く違う感覚が湧いてきた。ここにいた思い出も、ここでしたことも、何もかも違っていった。

もし、もう一度やりなおせば、こんな自分でも同じ道へ行くのであろう。

日本で交換留学する道へ、もう一度向かうのであろう。

あっという間に過ぎた三年間、日本での勉学は自分の武器となり、通訳と翻訳として勤め始めた。日本で学んできた経験も、学習に対する態度も――未熟の自分であるが、コツコツと、例え泥中を這うような醜い姿で進んでいても、物事を、この業界での知識を胸に刻みたいという態度を、日本で学んだ経験をもって、今でも努力し続けられた理由だと思っている。

なぜなら、例え学校で学んだことと職場でのことが違ったとはいえ、努力せねばならない、一刻も早く状況を把握せねばならないということは基本的には違わないからだ。自分から見た日本は、いつでもなんどきでもコツコツと、何でも最善をつくそうとしているという国なので、恐らくその態度も、思想もあの一年間に身に染みていったかもしれないと勝手に思っている。

いったん夢をかなえ、通訳と翻訳を通じて、日本と台湾の架け橋として勤めている自分である。業界でも専門用語にいつも苦しみ、戸惑っていることもたくさんあるが、全力で努力したいという思いを胸に、そして何があったらすぐに上司や同僚に聞くのが、自分にとって一番大切なことだと思います。何としてでも必ず仕事をできるだけ完璧に成し遂げるという考えをもって、何でもかんでも順調とは言えない、むしろ転んでいる日々を送っているとでも言えるが、知らぬことに対する好奇心を抱え、そしてわからないことがあったらすぐ情報や答えを聞き出すことが、何よりも重要な事だと思っている。

自分のために日本の知識としつけとを注いでくださった先生方に、自分のために知識と優しさをくださった学校に、ここで敬意とお礼を。

走って、転んで、たとえ消えない痛みを、そして未知と不安が溢れていたとしても、その国、自分の第二の祖国日本で学んだことを、態度を、勉学を胸にすれば、きっとなんとなく勇気を抱いて、なんとなく次へ行けるのではないかという気がした。

もし、もう一度やりなおせば、こんな自分でも同じ道へ行くのであろう。

日本で交換留学する道へ、もう一度向かうのであろう。

――「もし、もう一度やり直せば」

台湾淡江大学⇔駒沢大学交換留学生 リュウケンクン
20210221


新ビジネスの基盤づくりで超多忙

2021年4月

東大柏部会 大竹晋(三井物産OB)

香港理工大出身の顧潔(ジェシカ)さんとは、2013年5月から彼女が東大籍を離れた一昨年10月まで、実に7年もつづく長い一対一交流でした。新領域創生科学研究科に在籍し、2017年9月に博士号を取得、ポスドクを経て離日後は上海に拠点を構えました。ところが、コロナ騒ぎで事情が一変、現在は北京の実家に滞在しています。

昨年10月、渡航の解禁直後に再来日したので1年ぶりに会いました。「仮想通貨」や「ブロックチェイン技術」をコアにして新金融システムを構築し、世界に散らばる同志をリモートでつなぎ、新ビジネスの基盤づくりで超多忙との話でした。来日の目的は、借りたままの柏のアパートを解約すること、ついでにGoToトラベルを利用して東北と北海道を周遊することだったとのこと。相変わらずの鮮やかな身のこなしです。

<2015年そば屋で誕生日祝>

一対一交流は原則週1回、各2時間、柏キャンパスや柏駅近辺など臨機応変。学会や遊びを除き、ほとんど休まず7年間もつづいたのは、お互いに肩ひじ張らずに自然体で接したことがよかったようです。毎回新聞記事なども用意しましたが、ヘヴィーメタル(ロックミュージックの1派)が好きで、川崎のライブハウスの常連だったり、活動的で友だちが多い彼女ですから持ち込む話題が豊富。聞き役だけで2時間があっという間に過ぎました。サクラの時期に自宅へ来てもらったこともあります。動物好きの彼女が張り切って相手をしてくれたのに、興奮したわが家の黒柴が手に噛みつく事件があって、それ以来沙汰やみに。

柏部会の大格さん(TECOB)と神崎さん(TECOG)にたいへんお世話になりました。大格さんのグループには垣根を越えて出入りし、神崎さんには、英語が堪能な彼女のために英会話スクールのバイトの口を見つけていただきました。しかし、彼女が優秀な証拠でしょう、在籍中に日本学術振興会の特別研究員に前後2回採用され、その期間はバイトが許されず短期間でしたが、いろいろな職種や年齢層の日本人に教えた経験が、日本の知識を広げ、親近感を大いに深めたといいます。

わたしの高校時代の友人4人と永年つづけている月1回の読書会にも熱心に参加しました。場所は四ツ谷のホテルニューオータニ、きっぷのよい現役開業医が毎回費用を持ってくれ、バイキングを心置きなく楽しみながら、前月に皆で選んだ著書について議論します。ここでは聞き役でしたが、じいさんばかりのグループに彼女が花を添え、時々話に口を突っ込むようにもなりました。中国事情については、まさに生き字引でした。

1つだけ反省点があります。わたしは、2006年から中国の地方大学で2年半、日本語学部の老師として日本概論や商務日本語などを教えました(注)。日本語能力試験1級(N1)の対策にもさんざん苦労したので、その気になれば特訓はお手のものです。しかし、彼女については、体系的に指南した覚えがありません。そもそも研究現場での日本語のニーズが少ないためか、リクエストがなかったことも一因でした。N1の資格があれば、ポスドク中に日本で就職する機会を得たかもしれず、惜しいことでした。

注: 2006年の会報に経緯が載りました。


2021年3月

東大部会 白井則子

昨年4月、新型コロナウイルスの脅威が世界に拡大し日本も緊急事態宣言下の暗い雰囲気に覆われていました。三井V-Net (以下V-Net)の活動も全て中止になり、寂しく感じていた頃、タイに帰国した留学生ギッグさんから連絡をもらいました。シニアの私たちそして日本の状況を気遣っての優しい便りでした。

ギッグさんと知り合ったのは10年ほど前、V-Net「里山を訪れる」のイベントでした。当時彼女は東京医科歯科大学の留学生だったので東大FACEの学生の友人としての参加でした。タイの留学生たちは団結が強く大学が違ってもV-Netイベントには友人同士が誘いあい楽しく盛り上げてくれました。若い彼らにとってイベントは外国生活の楽しい一時だったのでしょう。

その後彼女は機会があるごとにV-Netのイベントに参加、日本の生活に慣れて会うたびに頼もしい女性になっていきました。確かに女性は生活に慣れると強い!観光地へは長距離サイクリング。自炊で健康管理。強い向学心で博士号取得。外見は静かなおっとり型でも中身は確りしたキャリアウーマンに変身していきました。

現在、彼女は日本で学んだことを生かし、タイの地元病院で活躍しています。今回PCR検査についての説明もしてくれたので一緒に紹介します。送ってくれた職場での彼女の写真を見て昔の初々しかった留学時代の彼女を思い出す会員の方もおられることでしょう。その留学生がタイの医療を支える大切な人材になっていることを私たちも誇りに感じます。 

【ギッグさんからの寄稿文】

ゲノム情報を活用する

Sariya Dechamethakun (タイ)

私はタイ人でギッグ(注:筆者のニックネーム)と申します。現在は遺伝子検査科学者としてタイの実家近くの大学病院でがんに関わる遺伝子検査の仕事をしています。10年前タイ国の薬学部を卒業し、 日本の文部科学省の奨学金を受け5年間東京医科歯科大学で勉強しました。日本留学中は遺伝子レベルに基づいた個別化医療、遺伝子検査で疾患リスクを意識した生活習慣改善などの予防医療を研究してきました。博士号取得後、  2年間日本企業と日本研究機関で遺伝子検査に関する仕事をして3年前タイに帰国し、現在に至っています。

新型コロナウイルスが騒がれはじめてPCR検査はなじみ深い言葉になりました。今回そのPCR診断について詳しく説明します。

PCRはPolymerase Chain Reactionの省略です。1983年に米国キャリー・マリス博士により開発された技術で分子生物学の標準的な手順です。博士はその功績により1993年にノーベル化学賞と日本国際賞を受賞しました。

PCRはわづかなDNAサンプルから一連の温度変化のサイクルを経て任意の遺伝子領域のコピーを百万倍にも増幅し、次の段階に十分な量にまで増幅することが目的です。その増幅した標的の遺伝子領域を広く応用されている範囲について、がん、感染症、白血病などの診断で使われています。

このようなゲノム情報を活用し、より効果的な疾患の診断、治療、予防を行うことは「ゲノム医療」と言われます。特に近年ではコロナ感染症での病原体診断に大きく貢献しています。

PCR法はいくつかの種類があるが、新型コロナウイルスの検査はリアルタイム PCRを使用しています。リアルタイムPCR法と従来のPCR法の違いはリアルタイムPCRにより標的DNAの増幅量をリアルタイムに測定し、その結果から目的DNAの有無迅速性と定量を行うことができます。新型コロナウイルス検査の場合、鼻の奥などから検体を採取し、ウイルス特有の遺伝子配列をリアルタイムPCR法で増幅し、ウイルスを検出することが可能になります。PCR法の応用に関して、医療以外に犯罪捜査にも役割を果たしています。

現在の私も日々主にPCR技術を用いたがんと白血病の診断、治療モニタリング、治療薬の選択のサービスを提供しています。留学前は遺伝子研究を直接経験しなかったが、日本の大学院と職場でゲノム医学の知識と経験を身に着けました。現在学んだことや身に着けた経験で社会に貢献できることを嬉しく感じます。

日本に留学した最初の頃、新しい環境に住むのはもちろん不安でした。三井V-Netのイベントに参加して、面白い経験を積むうちに日本人と交流でき、さまざまな留学生と友達になり、少しずつ日本の生活が楽しくなり慣れてきました。専門の勉強に加えて、日本人の考え方、例えば、他人と環境への配慮、事前準備など分かり成長したことは私にとって日本の滞在中のすてきな時間だと思います。今私は出会った皆さんのおかげで充実した生活を送っています。皆様に心から感謝を申し上げます。


「あの留学生は今」

駒沢大部会 会員 高橋由美子

2010年4月に駒沢大学に留学生として来日した朱慧さんと交流をすることができ、今も交流を続けていることから、今回の企画を伝えたところ、朱慧さんの今を寄稿してくれました。

私たちの気持ちに応えて、優しい気持ちで振り返ってくださって、私たちこそ、朱さんに感謝です。コロナ禍で、昨年より各大学では留学生の来日ができない状況が続いていますが、一日も早く留学生が以前のように日本に来られる日を祈る思いです。そして再び、人と人との交流が復活する日を楽しみに待ちたいと思っております。

【朱 慧さんからの寄稿文】

2010年に駒沢大学に留学した朱慧です。出身校の華東師範大学は駒沢大学と長年交換留学のプログラムがありますので、留学前に、既に先輩から三井ボランティアという団体を耳にしたことがあります。「ぜひ参加してください」と先輩たちからのお勧めで、留学の一年間の中、積極的に三井ボランティア活動に参加しました。

当時の主担当は國光先生と高橋先生でした。週に一回先生たちから日本語や日本文化等を教えていただき、留学中の悩みも相談に乗っていただきました。定期的な活動以外にも、時々高橋先生の自宅にお招きいただき、色々な家族活動に参加させていただきました。

そのおかげで、留学中の私は、日本語を磨き、日本文化を学ぶことだけではなく、暖かい家族の雰囲気を感じることもできました。当時、私はちょうど大学四年生で、自分の将来の就職に悩みを抱えて、どんなキャリアに進むのかすごく迷っていました。そこで、高橋先生が自分自身の社会経験をシェアーし、建設的なアドバイスをくださいました。おかげさまで、段々将来の歩む道が明確になってきました。

帰国後、上海の日系銀行に就職することになりました。日本での留学経験を活かし、仕事も順調でした。しかし、日本語学科出身のため、就職三年後、つくづく金融知識の不足を感じ、改めて学校に戻りたいといった考えが芽生えてきました。中国での進学それとも留学、と迷いました。やはり日本での留学経験から、留学は決して知識を学ぶことだけではなく、自身の視野を広げることもできると深く感じ、留学することに決めました。

今度は金融先進国のアメリカに留学することになりました。アメリカで留学していた間に、日本での夏インターンシップの機会に恵まれ、2か月ぐらい日本での就職を体験しました。勤務地は東京なので、もう一度國光先生と高橋先生と再会することもできました。五年ぶりに再び先生たちが自分の未来やキャリアの相談に乗ってくださり、不思議なご縁だと思いつつ、心の底から感謝しました。

アメリカに来てから今年は既に五年目になります。現在アメリカでの米系銀行に就職しています。あっという間に、日本での留学はもう十年以上前のことです。しかし、その留学の経験は私にとって、貴重な思い出です。その一年間の留学生活がなければ、また三井ボランティアの皆様に出会わなければ、今の私はありません。そしてこの数年間、三井ボランティア活動での経験に感謝している私は、積極的に多様なボランティア活動に参加しています。自分が頂いたお世話を、他の人に伝えることができれば、一番良い恩返しだと信じています。 

今はコロナのため、出国することが難しいのですが、またいつか旅行でもう一度日本に戻りたいと思います。

2018年 高橋がニューヨーク旅行滞在時に
訪ねてくれた元駒大留学生の朱さんと湯さん。
(忘れることのできない思い出となりました)
2019年フロリダ Key Westにて

卒業留学生たちは今

2021年2月
一橋大部会 武内克彦(三井物産OB)

私が一橋大部会で交流した学生は、一人を除いて消息は分かっていますが、コロナの関係でこのところほとんど連絡はとっていません。 わかっている範囲で彼らの近況をご報告します。

1.Aさん

中国人、女性。卒業後タイヤメーカーに就職し兵庫県の本社勤務中。 卒業後結婚し(上海での結婚式に招かれ私も出席)現在大阪府高槻市に在住。関西に旅行した際は都合が付けば面会しているも、コロナのためこの2年ほどは会っていない。適宜メール連絡中。

2.Bさん

韓国人、女性。卒業後損害保険会社に就職したが、家庭の事情で退職し帰国。 年2、3回はメールで近況報告を取り交わしている。

3.Cさん

中国人、女性。卒業後コンサルタント会社に就職したが、その後連絡取れず消息不明。


交流相手同士が結婚

2021年2月
東大柏部会 大格登(東洋エンジニアリングOB)

左から:さん、大格さん、趙思嘉さん、夏一鳴君
(2015年4月撮影)

今年元旦のうれしいニュースは2019年12月に東大柏で博士号を取得して、現在は上海の某大学で研究生活をしている趙思嘉さんからメールが届いて、家内への病気見舞いとともに、本年2月夏一鳴君と結婚する予定だと知らせてくれたことです。

夏一鳴君も東大柏に留学し、小生の一対一交流の相手で、かつ、趙思嘉さんの友人で好感の持てる青年でしたが、修士課程の途中で(2016年夏?)帰国し、東大に戻って来なかったので音信不通でしたが、安堵しました。ご参考迄に2015年4月環境棟前で撮影された写真を添付します。


あの留学生は今

駒澤大学部会 会員 高橋由美子

2020年に続き2021年も各大学とも留学生を受け入れることができず三井V-Netの活動もなかなか軌道に乗らない今、既に卒業した留学生の心の中で私たち三井V-Netがどのような位置をしめているか、またその後彼らはどうしているのか。

「あの留学生は今」として、三井V-Net事業団のHPに掲載したいとの事務局からの呼びかけを受け、私は2009年に中国華東師範大学から駒澤大学へ留学生として来日、1年間交流をした「ヨウ思民」君に今回の企画内容を説明したところ、快く賛同してくれて早速、下記のような寄稿文を送信してくれました。

寄稿文に掲載されているように1年間の留学生活を十分に活用して、現在につなげている様子がよくわかります。中でも「忘年交」という麗しい中国の言葉をひいて、私たちに贈ってくれているところが素晴らしい青年に成長されたことをものがたっています。

ヨウくんが新婚旅行で東京に来たときは奥様にお会いしていますが、奥様も日本に留学をされた経験を持つ方で、とても可愛い奥様です。

ヨウくんからは、留学時代のヨウくんと私たちのスナップや卒業後日本に来日した折に撮った駒澤大部会会員の国光氏とのスナップ、ご家族との最近のスナップ等も送信してくれました。

【ヨウくんからの寄稿文】

投稿者:Yao Simin(ヨウ・シミン)
出身地:中国・上海
留学期間:2009−2010
担当者:高橋由美子先生、国光史朗先生
作成期日:2021/02/13

以下本文:

交換留学を終わって、帰国して十年が経ちました。
投稿募集を見て、「光陰は矢の如し」という言葉を改めて感じました。
人の一生の中で「十年間」と区切れば確かに幾つかしかないものです。
この十年間の変化をふりかえってみます。

十年間の変化

過去十年は私にとって、家庭も事業も順調、充実した十年間でした。

2010 日本留学終了、帰国
2011 大学卒業、就職
2014 結婚
2015 中国公認会計士資格獲得
2016 長女誕生
2018 現会社に転職、不動産ファンド管理

「三十にして立つ」、現在は夫、息子、父親、会計士、チーム責任者の身分を負いながら、忙しいサラリーマンの日々。幸せも成功体験も豊富になった。家族の笑顔を見た時、難攻不落の任務を遂行した時、上司と部下から「ありがとう」って言われた時。悩みもいろいろあり、夫婦関係、子供教育、仕事任務、自己発展、等々。もっかの最大の悩みはこの10年で額がどんどん後退していったことだ。

十年前、あの留学生

日本への留学は初めて両親から離れ、独立生活でした。 新生活への憧れと興奮が不安感を遥かに上回り、学業、アルバイト、旅行等、いろんな活動でいろんな人と出会い、夢のような素晴らしい一年間でした。若者とパーティーとかで狂うよりは、お茶飲みながら好きな本を読むのが自分の性格に向いているので、三井V-Netの活動に興味深く、積極的に参加していた。

中国では「忘年交」という言葉があり、年齢を忘れた友情ということで、まさに三井V-Netで実現できた。

「人生大先輩」の皆様と日本語の勉強、日本文化の解説、家族イベントの招待等を通じて、日本の物事をより深く体験することができて、精神面でも栄養を一杯吸収した。

職業事業には学力と専念、人と交流には誠実と包容、困難挑戦には楽観と根性。十年前に勉強になったこと、今でも心に刻まれている。

2009/7高橋家のホームコンサートに参加して 2015/4 駒大部会会員国光氏とヨウくん 

最近の感想

留学時代ではグローバリゼーションがメインメロディーでしたが、近年ではポピュリズムが台頭し、コロナもそれに拍車をかけた。世界が激変している中、「変わる」こと自体は唯一の「変わらない」こととも言えるだろう。

不動産ファンド管理会社で会計として働いているが、以前旅行産業の高騰に伴い、ホテルやリテール等物件への投資はブーム期となったが、コロナ以来は一転した。ホテルは「危」となった一方、インターネット産業に関連する物流施設やデータセンターへの投資は「機」を迎えている。「危機」という言葉には「危」と「機」は併存し、危険から機会を発見し、行動に移す者は勝。

2018/10 中国 海南 家族旅行

一年前から日本への出張は止まっていますが、日本で桜と友人達と再び会えると信じている。
では、また。

【ヨウくんからの寄稿文を読んでの感想】

忘年交という言葉を私たちに贈ってくれたことを思うと、私たち日本が奈良、平安の昔に学んだ中国がこの若者の中に健在だと思いました。   そして三井V-Netの活動が相互尊重の国の関係を築く一翼を担っていると確信しました。   私の人生二幕目に大きなステージを与えてくれた三井V-Netに幸あれ!!

三井V-Netに集う万年青年のみなさまと一緒に、世界から集う留学生がはばたくためにこの活動をひろげていけたら素晴らしいことだと思います。

以上


あの留学生は今

駒澤大学部会 会員 高橋由美子

2011年4月、中国華東師範大学から駒澤大学に留学生の湯(トウ)ブンさん(女性)が来たときには、彼女はお化粧もしていなくて純朴そうな学生さんでした。

日本語検定試験1級を満点通過した学生です。大変な努力家で優秀かつ上昇志向もある学生で日々勉学に励んでいたことや休日等を利用して一緒に名所旧跡の見学や歌舞伎などの古典芸能の鑑賞をしたことを懐かしく思い出します。

卒業後は、自らのキャリアを積み重ね、いまや殻を割って自信にみなぎり自己を確立しています。うらやましいと思います。

2018年には私が所用でニューヨークに行った時に米国にいた彼女に連絡しましたら先輩の朱さんと一緒にアムトラック(全米旅客鉄道)を利用、2時間もかけて会いに来てくれました。

まさか日本で交流した中国からの留学生とニューヨークで会えるとは思いもしなかっただけに本当に嬉しく感動したことを昨日のように思い出します。

このように湯さんとは卒業後も交流をして来ましたので今回の「あの留学生は今」の企画を連絡、説明したところ、心よく近況を寄せてくれましたので紹介させていただきます。

【湯 ブンさんからの寄稿文】

2011年に駒沢大学に交換留学したトウブンです。来日当初から三井ボランティアの皆様に大変お世話になりました。富士山、歌舞伎などを含め、三井ボランティアの活動で留学生活が充実したものになりました。特に高橋さんが家までお招きいただきました。最上さんから日本語をお教えいただき、日本語能力試験で満点を取りました。佐藤さんからギターのこともいろいろ勉強しました。今思えば、三井ボランティアの皆様が家族のように暖かく私に接してくれました。私にとって、すべてがかけがえのない思い出です。

留学生活を終え、私は大学に戻り、2013年に卒業しました。卒業後、みずほ銀行中国で勤務しはじめました。その中、たくさんの友達ができ、金融についてもより深く理解できました。

それに伴い、専門知識の不足に痛感し、自分もまた勉強しつづけなければならないと考え、アメリカの大学院に応募しました。2016年にワシントンの近くに位置するメリーランド大学に合格し、数理ファイナンスの修士として、再び留学生活を開始しました。日本での留学生活と異なり、高額の学費、就活のプレッシャー、そして、山積みの課題。それらと戦う中で、自分を磨き、2018年に卒業しました。高橋さんと一度ニューヨークでお会いすることがあり、同じ駒沢大学の交換留学生の朱慧さんとご馳走していただきました。

卒業後、運良くメリーランドのあるコンサルティング会社で、金融リスクモデル構築に携わりました。2020年年初め、ある証券会社に転職し、コロナ禍が勃発した後は家で勤務してきました。 去年勤務する会社がモルガン・スタンレーに買収され、今年4月からモルガン・スタンレーの従業員になります。また、2019年に結婚しました。相手は同じ中国人です。

駒沢大学に交換留学してから、間もなく10年になります。この10年間の中で、日本での一年間が皆様のおかげで、とても楽しく、豊かに過ごしました。今でも三井ボランティアの皆様に感謝の気持ちがいっぱいです。機会があれば、また来日し、皆様とお会いすることができればと思います。このコロナ禍、どうかご自愛ください。

2019/11 プラハにて2020/12クリスマス祝い

【湯さんの寄稿文を拝見して あとがき】

私たちがお世話した若者が思った以上にみんな三井V-Netを懐かしみ感謝してくれているのがうれしいです。

これからも 三井V-Net に所属させていただいて、若い人たちに英気をもらうことができたらこんなにうれしいことはありません。

以上


あの留学生は今

駒沢大学部会 会員
横山 美代子(三井物産OG)

2015年に駒澤大学に留学してきたフランス人ジェニファーヴィダルさんのことを書いてみたいと思います。

彼女は来日当初から三井ボランティアの活動に積極的に参加して「江戸東京博物館着物体験会」や「茶道体験や浴衣会」の企画や準備を手伝ってくれました。

お祭りに参加

勉強の合間を縫って「歌舞伎」や「文楽」や神社のお祭りなど季節ごとに多くの伝統行事を楽しみ、1年の留学期間が終了した時には「帰りたくない!絶対に再度来日する」と言い残してフランスに帰国しました。そして翌年には「ワーキングホリデービザ」を取得して再び東京に戻り、はやりの民泊で部屋を決めてすぐにフランス語講師の仕事を始めました。休日には御朱印帳片手に観光し、日本語の勉強も忘れずN2の試験に合格し、働きながら日本での滞在を満喫しました。

こうして彼女と駆け抜けた2年間は、私にとっても「楽しく充実した忘れがたい大切な思い出」となりました。しかし、彼女とは「これでお別れ」というわけではなく「次は地方都市での暮らしを体験したい」と言って帰国後に「JETプログラム」に応募し、幸運にも高知県須崎市役所での仕事を得て再再度の来日を果たしました。

ジェニファーさんの名刺

市役所では「フランス料理レッスン」を企画し、広報で募集するとすぐに満席になる人気のクラスになりました。今はコロナ禍で休講を余儀なくされていますが、写真を見ると「グラタン」や「ガトーマーブレ」は、とてもおいしそうで、私も習いに行きたくなりました。彼女は翌年にはパリに出張して「JAPAN EXPO」という、現地の日本ファンのための大規模イベントで通訳としても活躍しました。

多くの応募者の中から選ばれた2名のフランス人女性が来日した際には、国の重要文化財に指定されている鳴無(おとなし)神社を案内し、昼食時には鰹(かつお)をさばいて、燃え上がる炎で焼いて食べるという珍しい体験ツアーの案内を担当しました。 このような体験型観光を通して街の魅力を世界に発信することもジェニファーの大切な仕事の一つになっています。須崎市は日本人でもその名前を知らない人が多い地方の小さな街ですが、海や山が近く、人情に溢れ、隠れた魅力がいっぱいです。

私も一度は訪れてみたいと思っていますが、皆様も「三井V-Net駒沢大学部会で交流をした留学生が活躍する」高知県須崎市へのご旅行を計画されてみてはいかがでしょうか?


(2018-8-19 高知新聞に掲載されたヴィダル・ジェニファーさん)


赤い結婚式

2021年2月4日

東大部会 北脇泰登(三井物産OB)

2014年7月から2015年9月の東京大学大学院卒業まで、FACEの紹介で、中国珠海市出身の卓展韜様と楽しく一対一交流をしました。2015年10月に彼は中国へ帰国して、就職をした後も交流を続け、珠海に夫婦で何度か訪問をしていました。

珠海市は、広東省南部にある人口150万人の近代的な都市で、マカオに接し南シナ海に面した温暖な気候の街です。熱海市との友好都市で、海鮮や果物がおいしいリゾート感覚溢れる街です。市内には新幹線の駅やジンベイザメが3匹泳ぐ世界一の大水槽がある水族館があり、パナソニック、ダイキンなど日本企業が工業団地に進出している街でもあります。

2018年10月に卓様と周様が婚約旅行に来日し、熱海の伊豆山神社や箱根芦ノ湖などを案内し、2019年春に結婚式の招待を受け、夏に動画の招待状を受け取りました。

2019年9月13日に羽田空港を出発し香港島で宿泊しましたが、香港民主化デモがあちこちで多発しており、14日急ぎフェリーで珠海に入り、湖南の赤いザリガニ料理を頂き、15日にバルセロナや日本から駆け付けた卓君の友人達と前夜祭をしました。

9月16日の結婚式の朝、「新郎が新婦を自宅に出迎える式」に立ち会いました。前夜祭の友人達が黒いサングラスと黒い服とを着て、赤い中国服を着た卓君を盛り立て祝います。その後、黒塗り6台の車に分乗して花嫁宅に向かいましたが、撮影車がビデオを撮りながら前後を追随し、交通渋滞を起こしながら花嫁宅に到着しました。花嫁宅では玄関まで赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれており、花嫁友人達が新郎を取り囲み家に入れません。新郎から花嫁友人達に赤いご祝儀袋が沢山たくさん配られ、やっとのことで家に入り、新婦の部屋に隠された靴を見つけだし、赤いチャイナドレスの新婦とキスをして一段落です。

その後、広い応接間で、新婦のご両親に二人がお礼の言葉を述べた後、次から次へと花嫁へ親戚の方々から金のネックレスや腕輪が贈られました。

新郎宅の玄関にも赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれ、赤い紙吹雪で新婦を迎え、新郎新婦が揃って玄関の仏壇の前で一礼して、新婦側から赤いボストンバックに入った大金や品物が渡されました。その後、新郎の両親に二人で挨拶をし、今度は新郎の親戚から花嫁に金のネックレスや腕輪が次々贈られ、花嫁はほほ笑みながらお礼を述べていましたが、お辞儀のたびに重そうでした。

インターコンチネンタルホテルにあるメインの400人収容の大宴会場に、樹木と花で飾られた舞台が中央に設置され、40テーブルが両脇に配置され、海外や中国全土から集まった方々が着席されて結婚式が始まりました。

来賓挨拶、新郎新婦から両親への花束贈呈と新郎挨拶が始めにあり、各テーブルに子豚の丸焼きが40頭運ばれて宴会開始です。次から次へと料理が運ばれる間に、われわれ夫婦も新郎新婦から「東京でお世話になった先生」と紹介され大きな拍手を受けました。

花嫁は白いウエディングドレス、新郎はタキシードでしたが、参加者にはTシャツ姿の友人やスーツ姿、年配者は中国服の方もおり服装はまちまち、お酒が入りワイワイとなり、ひとしきり食べ終わるとそれぞれ勝手に帰って行きました。日本のように、新郎新婦が両親に花束を贈り、感謝の言葉を述べてお開きとなることはなく自由解散方式でした。

9月17日に、卓様の友人達と「赤い結婚式」の余韻を楽しみながら、珠海から香港まで55qの新設された「港珠澳大橋」を専用バスで渡り、香港市内の民主化デモ騒ぎに巻き込まれることなく、無事に香港空港から羽田空港に戻りました。

昨年秋、卓家に息子様が誕生し、卓様は「中国と日本の懸け橋になる」と張り切って深で働いています。新型コロナが落ち着いたら、また珠海を訪れて卓様御一家との交流を深めたいと思っています。孫のような卓様の息子様の成長が楽しみです。