関西支部(大阪)/国際交流/同志社大学

五年後の国際交流

会員 安田 憲司(三井住友銀行OB)

当事業団の登録員として初めての留学生との一対一の国際交流、出会いは2005年6月。 お相手は、京都・同志社大学の博士課程の正規学生として精励する中国からの留学生。初対面の印象は、日本人と紛える可愛い女子学生。

早速に交流が始まった。手渡された交流登録票の彼女のニーズは「日本語でうまく話したいであり、日本の経済、文化、日本人の生活など、いろいろ知りたいである。」・・・・・と語尾はこんな調子だった。

毎月2〜3回の交流。日本の事を知っていただくについては京都は材料が豊富。何しろ日本文化の粋が集まっている場所だ。歌舞伎・能・狂言・花街の舞踊など。それに祇園祭・大文字送り火等祭事も見るべきもの、知るべきものには事欠かない。

経済については、元銀行員だった事が幸いし経済というより実践・経験からの経営学に近い解説を試みた。 それよりも、何よりも彼女自身が熱心だった。何事にも興味を示し、どんどん質問してくる。

たしか2006年3月発刊の本誌ニュースレターVol.31でも紹介させていただいたが、「ここ・そこ・あそこ」は距離にしてどの程度のひらきがあるの??との質問には即座に答えようがなかった。
今にすれば彼女との楽しい想いで・語り草の一つだ。

また 交流が始まった直後の2005年秋の須磨海岸クリーンアップ活動に参加、参加感想文を三井V-Net関西事務所のホームページの一頁を飾ってくれた。
正月には我が家に招いたが、娘や孫達ともすぐに解け合い、私の出る幕なし。 その彼女も、2007年3月、日本での学業を終え帰国した。 彼女が中国へ帰国しても、娘が勤務先の日中の合弁会社に出張した際には現地での観光の案内役を務めてくれた。

この間、私もメール交換で絆を深めようとしたものの音信が途絶えることもままあった。 今年2012年の正月に突然日本に居るとのメールが着信、5年振りに会いたいとの懐かしい声。 詳しく聞けば、同志社を卒業後日本の企業に就職、即その会社の中国における関連会社に出向したとのこと(中国へ帰国の際、こちらからは詳しく聞くことは遠慮していた)。このたび出向の任を解かれ本社勤務になり日本に舞い戻ってきたそうだ。

そして今年2012年3月には交流を再開した。その後何回の会食でお互いの生活の情報交換、その間留学生交流当時に京都観光で三井V-Net関西支部事務所の村上さんにもご一緒いただいたご縁で事務所の方々との交流もあり、皆さんとの食事会を開いたりと、三井V-Net国際交流がきっかけで、外国人とは縁もゆかりもない私にとっても素晴らしい事である。

5年を経た彼女のコメントをそのまま紹介しましょう。

五年後の交流再開

蔡 雪皎

私は2005年4月に同志社大学に入学して、暫く経ってから三井V-Netの「一対一交流」活動で安田さんと知り合いました。それが私の一生を変えました。

安田さんと知り合うまでの私の同志社生活は、授業、アルバイトに追われる毎日でした。異国での生活の孤独感、将来への不安でいっぱいで、生活を楽しむことはできませんでした。

安田さんと知り合ってから、私の生活はからっと変わりました。安田さんが日本語を教えて下さったおかげで、私は自信を持って話すことができるようになりました。卒業論文も安田さんと二人三脚で完成して無事卒業ができました。卒業証書に安田さんの名前を入れたいくらい深く感謝しております。「一対一交流」で、私は勉強できたのは日本語だけではありませんでした。安田さんが日本の桜、紅葉、梅の花の見物、歌舞伎や能などの伝統芸能の鑑賞に連れていただいたおかげで、私は美しい日本の四季と美しい日本の文化を深く味わうことができて日本のファンになりました。

同志社から卒業して中国に帰国することになったとき、正直、人生でこんなに親切にして頂ける方に出会えることはきっと二度とないと思い、非常にさびしく思いましたが、中国の天津で働いて3年間が経過したとき、急に本社転勤が決まってまた日本に戻ってきました。安田さんのおかげで、今の私の日本での生活は留学生時代と違って日本語で困ることはあまりありませんが、人生の大先輩である安田さんとはこれからもずっと付き合っていただき、安田さんからはいろいろと学びながら、楽しい時間を共有したいと思います。



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